死んでいる人の話

この世界は残酷だ。生まれた価値を見出せなければ死んでいるのと同じだ。生きているのは心を持った機械と同じ。まるで人工知能ってところだろうか。人として生まれること自体、間違っていたはずなのにどうして天は私を地上に落としたのか。
生まれた時から死んでいた。本当に死んでいたわけではなく、人ならざるものとして生きている。人の持つ心が最初からなかった。

知らなかっただけなのにクラスの標的になった。クラスが分かれれば友達ではなくなった。汚い人の相手をしろとか何もしていないのに犯人にされたとか、基本悪い事しか起きない。
悪いことをしたこともあるけど、それ以上に責任を問われることが多くてもう嫌だった。学校に行くことが辛いのにそれを許してくれない親。怒られて殴られて傷だらけになっても飛び降りられなかった。嫌だと思っていたはずなのに恐怖で出来なかった。
何も思いたくなくて首をひもで絞めようとしたり、包丁を見ると刺したくなったりしたけど死ねなかった。
自分で死ぬことが出来なかった。誰かが殺してくれればよかった。でも私と関わった人には不幸が、最悪死ぬ。私が元凶として生きている限り、不幸を抱えたまま死ねなかった。信号無視した車が突っ込んでくればいいとか、無差別通り魔事件に巻き込まれればいいのにとか、そう無駄に奇跡的なことが起きたらいいのにって思った。本当に死にたいときに起きないのが仕方ないことだけどね。

私は人殺しかって言われるとあなたはどうなのと返すだろう。法的に殺人を行う人なんて異常者以外いないけど……。
一つの言葉で壊れちゃうよね。暴力がいじめの原因だって言われていたのはもう昔の話。言葉によって傷つけられた心は最初には戻れない。治ったつもりは壊れる始まり。器を失った心は流れ落ちる感情を受け取ることが出来ない。
誰だって好きになれる人はいない。平等に接しましょうね、なんて無理な話だ。人それぞれ性格があるから、合わない人だって出てくる。それが生まれた家族の中で起きているという話も今の時代普通のことなのかもしれない。

子供のころに受けた差別という名のいじめのせいで人が怖くなってしまった。対人恐怖症というものだろうか。笑うなと言われたり行動することも何かを言うことも否定されたりしていたから私は誰かの意見に流されることしかできなかった。そうしていれば誰も不幸にならないからと思っていた。
人を信じることが出来たのはもう何年前の話になるのだろうか。言葉の否定が多すぎて嫌なことばかり。人として生きている私が馬鹿みたい。
信じるふりをした嘘の話をするだけの機械みたいな私はそれでもよかった。誰かを思うことは空白を埋めるだけにしかならないって今は思っている。人を好きになることだってそう。
本音はどこかへ消えて嘘の人格を作ってしまった私にはもう何も映らない。もう何年も本当のことを話したことはないし、話したとしても嘘だらけの本音だ。作り話で騙しているなんてよく言われるけど、それってあなたもでしょう。
この世界に本当はない。あるのは嘘だけだって誰かが言っていたから。

死んだ過去はもう戻らない。きれいな記憶は傷ついた思い出に埋められた。

あとがきっぽいこと
先日の「人と心の疑問と仮説の記憶」と同じように……それ以上に病んでいた時に書いたのでこの話の設定がありません
おそらく思っていたことを書いたので不快になる人がいるかもしれない

「私」という存在が現実なのか作り物なのかは誰にもわからないからね

そして夢のお告げが来たやつというと、最近公開された映画のせいで書く気が失せたので当分放置されるでしょうね
(まぁ、書くことがなくなったわけではないので大丈夫だと思います)

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